Vol.7法の不知は許さず!…とは云うけれど。
     
  法の不知は許さず!…とは云うけれど。  
 

朝の9時半の約束だったのに、なんと1時間も前から事務所の前に着いて私の出社を待っていたという老夫婦。今日もまた問題を抱えた80歳前後の老夫婦が肩を丸め悲痛な表情で相談に来られた。
土地の借地権の問題だった。そもそも先週末のことだという。男性3人がやってきて、「この土地は、私が買ったので来年の2月末までに明け渡してほしい…」と突然云われたのだというのだ。何故なんだ。この土地は、私が兄から貰った土地なのに…。何故?何故なの?3日間というもの何も喉を通らない日が続いて今日の日が来たのだという。

特にこのようなパニック状態で混乱しているような場合は、話を余り急いで聴き出さないでたっぷり時間をかけることにしている。
老夫婦の話は昭和29年3月に遡って、両親のこと、兄弟のこと、連れあいと結婚したこと…から始まる。詳細は省くが、今年の春に亡くなった兄が、自分たちが今住んでいる土地を私たちにあげると書いてある書類にまで書いてくれているし、建物だって自分たちでお金を払って立てたのだし…と建築確認の書類を広げて見せてくれた。
生前、兄が老夫婦に土地をあげると書いた書類だといって見せてくれた。どう見ても、私にはその場を取り繕うように書いた「メモ書き」としか思えない文章だ。昭和60年頃に書いたもので、地番もなければ住所の表示もない。実兄が目の前で自ら書いたものだからキッチリ約束してくれたと信じていたし、登記のことなど何も考えていなかった…と云うのだ。それと、ずいぶん前に地代を払おうとしたら、あげたんだから地代なんか払わなくっていいよ!と云われ。だから地代はまったく払っていなかったというのだ。兄が重病で入院した時には付き切りで看病したりした後だったので、本人達はなんの躊躇いもなく素直に喜んでその土地を貰ったというのだが…。
その実兄が死んだ。そして相続が発生した。自分たちが住んでいる土地の外に200坪余の土地が隣接している。相続税を払うために周辺の画地のすべてを売却したと云うことで、その土地の買受人が挨拶に来たようだ。あまりにも社会を知らなすぎる。兄弟の言葉を信じすぎる。法的な権利関係の手続きをなにもしていない。純粋だ。純真だ。でも社会に通用しないことばかりだし、どうしたらこの老夫婦を守ってあげられるだろうか。
 

 
     
  真実は真実として告げる勇気が…。  
  何と切り出したらいいのだろう。僅かな年金暮らしで慎ましく生活している老夫婦に出来ることを模索する。早速パソコンで登記簿を確認してみたが、建物は老夫婦の名で登記されているものの土地はまったく他人の名義になっていた。
登記簿をみても土地の所有権を主張するのは到底無理なことだ。借地権の主張ならギリギリできるのではないかと考えた。画地は4メートルの公道にまったく接していない。再建築が不可能な画地である。建物はすでに50年経ってかなり老朽化している状況だ。老夫婦が僅かな蓄えをすべて吐き出し所有権にこだわっても余り意味がないと考えた。不利な材料が次から次に出てくる。

現在住んでいる土地を借地であると仮定し、その評価方法について路線価図をもとに説明する。老主人は関心を示し始めしきりにメモを取り始める。ご自分達がおかれている状況が少しずつ理解できてきたようだ。 脇に座っている夫人はふっと悔しさが込み上げてきたようだ。それをご主人がたしなめる。夫人の悔しい思いは私が再び聞くことににする。このような状況の時には決して云いたい思いは遮らないことにしている。自分達が直面しているその問題点を自らが納得するための最後の吐き出しのように感じられるのだ。
感情の高まりが落ち着いてきたら、3人で少しずつ事実関係を整理し、真実を真実としてとらえそれぞれが納得してゆく時間が始まる。やがて、自分たちが「法に対して不知のまま過ごしてきた」ことに対しての反省の言葉がでてくるようになる。

 
     
  自分達の問題は次世代に送らないことを誓う  
  そもそもは実兄が亡くなったことによって吹き出した問題だったが「兄が亡くなる前にきちんとしておけば良かった」としみじみと語る。「過去を知らない甥たちを恨んだところで問題が解決するわけでもない。自分の想いは先生には全部聞いてもらえたからスッキリしました。」私たちが亡くなった後、従兄弟同士が憎み合っていることを思ったら悲しくなる。トラブルは自分たちの代ですべてを解決しておきたいから…と、活き活きと艶のさわやかな顔になってキッパリと言ってくれました。気がついたら早朝から3時間以上も経過していて間もなくお昼になろうとしていた。どうやらお役に立てたようで、一日晴れ晴れとした気分で仕事ができた。こんな日はとっても嬉しい。